2011-02-17 Thu 11:06
なぜ、ぼくが作るのは球体関節人形であるのか。
分解してみる。 即ち、球体・関節・人形である。 語順は一先ず措いて、人形から掘り下げる。 なぜ人形なのか。 人形、古来は日本では「ひとかた(ひとがた)」と称した。 字義の通り、人の形をしたもの、である。 日本における人形の端緒は呪物(まじないもの)であったと云われる。 切り紙で抽象的な人の形を作り、己が身の災厄をそれに移して火にくべたり水に流したりなどしたそうだ。 因みにこのひとかたを水に流す儀式が、後後流し雛を経て今の雛人形に伝わっていると考えられている。 災厄の移し方は、先ず白紙のひとがたに氏処を記し自分と同等の身となし、体の部位のうち災厄が溜まっていると思しき場所に擦り付け、息を吹きかけるという作法であったようだ。 京都清水寺の脇に立つ地主神社では、撫で物とも呼ばれるこのひとがたの呪い(まじない)が連綿と受け継がれている。 その後は先に述べた雛人形に代表されるように、女児のお守りとしての呪物の性格を残しつつ、少しずつ具象性を増していった。 人形全体の来歴はとりあえずこんなところで。 ぼくが人形をそれと意識し始めたのは小学校も低学年の頃である。 当時ぼくの家の床の間には、確か祖母から母に贈られた品であるところの琉球人形が飾ってあった。 硝子のケースに収められた50cmほどのその人形は、半ば見返るような優美なポーズでたおやかに視線を落とし、南国調の色鮮やかな花笠を被っていた。 その頃その床の間のある六畳間を自室としていたぼくは毎晩、ベッドの薄暗がりの中から、障子を抜けた星明りにぼんやりと照らし出されたその人形の姿を見つつ寝入っていた。 よく人形が怖いというような意見を耳にするが、姉と妹に挟まれてリカちゃんやジェニーちゃんの人形で遊んでいたぼくには、人形は寧ろ好ましい存在だった。 動きそうで怖いなんて声も聞くが、それこそぼくの見ていないところで動いていてくれたらどんなにか素敵なことだろうと常常思っていたし、今もそれは変わらない。 中学の頃だったと思うが、何かの拍子でハンス・ベルメールの人形の写真を観た。 衝撃だった。 木立に寄り添うように立つ、腹部の球体で鏡像反転した少女の人形。 それと、階段だろうか、薄暗がりに沈み込む、股関節の球体を乳房に見立てた人形。 ただ、その時はその衝撃の意味すら分からなかった。 かの写真から受けた衝撃は、ベクトルを持たないスカラーとしてぼくの心の深いところにひっそりと沈み込んでいった。 再びそれが日の目を見るには10年以上の歳月を要した。 時は下って21世紀。 当時オリジナル作品として同人漫画を描いていたぼくは、自分の作ったキャラクターを立体化したいと思い続けていた。 だが、フィギュアをゼロから作るにしてもその素養は全くない。 どうしたものか考えあぐねていた処に、友人から模型屋が販売している樹脂製の人形の話を聞いた。 スーパードルフィー、と云う名のその製品は、ドールとフィギュアを止揚した、カスタマイズを前提とした人形であるという。 これはと思いじっくり調べ、えいやと飛び込んだのは確か2001年の秋頃の事だったと思う。 買ってきたその日から変成を重ねた。同好の士も周囲に増え、数年の間はとても満ち足りた蜜の時間を味わっていた。 2004年、東京都現代美術館で行われた企画展、「球体関節人形展 Doll of Innocense」を観に行くまでは。 押井守監督のアニメーション映画『イノセンス』とタイアップする形で行われたその展覧会に、誘われるままについて行ったぼくはそこで、あのベルメールの写真作品と再びの邂逅を果たす。そして、今まで作家の名前程度は知っていても実際に触れることはなかった、表現方法、メディウムとしての球体関節人形に、初めて巡り会う機会を得た。 こんなにも広大無辺な世界だったのか。本当にこれを一括りになど出来るのか。 無茶苦茶じゃないか。野放図じゃないか。何とも、切ないまでの激白に満ち溢れているじゃないか。 何だこれは、どうしてぼくは今までこれを知らなかった。 人形というのは、ここまで様様な表現を呑み込むものだったのか。 その日からぼくの人生は少しずつギアチェンジして行った。 違和感自体は昔からあった。しかし、それは見てはいけないものだった。ずっと封をしていた。 そのせいでぼくの中の澱はすっかり変性して、どろどろとした赤黒い、融けた内臓のようなものになってしまっていた。 人形を作って生きていく。 その決意を固めるのに、更に1年以上が必要だった。 2005年11月、ぼくは単身東京へ移住し、見様見真似で人形の制作を始めた。 スポンサーサイト
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2011-02-14 Mon 20:25
厚塗りより水彩に惹かれる。 自分のコントロールから外れる部分の存在。 ぼくが人形の眼球にクラックガラスを使うのと同じ理由。 キリスト教的な上から吊られたロジックは、近代の到来とともに終焉を迎えた。なのに、未だArtは階層構造の上位を目指しているように思える。 なんだかすごく違和感がある。 その違和感を言葉で解すのか、作品で別の切り口を与えるのか。 言葉で語るのは近道かもしれないけれど、経験上、近道は何かを取りこぼす可能性が高い。何を除くかを意識しつつ研ぎ澄ませれば手段は言葉でも造作でも構わないが、ぼくはそこまで自分の言葉に信用を置けない。暫くは仕方なく両輪として使うけれど、言葉は口から離れた瞬間ぼくを裏切るので。 Artを階層化するのは何故か。そこをしっかり考えておかないと、揉まれ、見失う。 カテゴライズし、階層化するのは、キリスト教的論理が根底にあるから。 Artが目指すべき地平は弁別を上書きし続けること、なのか。上書きして新たなカテゴリを作ることなのか。 何か違わないか。 ぼくらは、頭の中にしか存在しない境界線で実際の物事をカテゴライズし、ヒエラルキーに組み込み、安心している。Artはそれを揺るがせにし、突き崩すのが本来の役割だ。Artを見て心が安らぐと云うのは、そのArtの価値を否定しているのと同じだ。 既存の価値観に疑問を抱かせるのが、Art。 つまりその主体は、Artではなく鑑賞者だ。 観る側がArtに触れることで世界を捉え直す、そこまで含めての全体の現象が発生しない限り、それはArtではない何物かだ。 言葉がぼくを裏切る一例。 Art、アート、美術、芸術。 さぁ、どうだ。 どれも何も語らないくせに、各個人の意識をぼんやりと縛る。発した方はそんな縛り方がしたいわけじゃないのに、言葉は勝手に個々人のバックグラウンドを引き合いに、あやふやなカテゴライズを果たす。 しかしながら誰かを何かの動きに誘ったりするには、そのすぐに背を向ける言葉たちとやり合わなければならない。なぜならば、例え幻想であっても共通の理解を得るためには、言葉が一番「てっとり早い」からだ。 取りこぼしと引き換えに、近道をするのだ。 すれ違い、むべなるかな。 そんなわけでぼくは今日も自分の生む言葉と騙し騙されしながらじたばたと取っ組み合う訳で。 めでたし、めでたくもなし。 Tweeted at Feb.14, 2011. http://twitter.com/Bishoujo# |
| ○● 上海乗風界水中心 ●○ |
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