2006-05-22 Mon 23:43
![]() 「夢の中で姉はいつもこう云うの。 『――ファイアの日に逢える。』」 そんな5月22日。 ぇー。 察しはついてるかと思いますが、長文です。 しかも若干、いや大いに手前味噌。 デザインフェスタ Vol.23。 2日間の会期日程、何とか無事に乗り切りました。 ブースを観に来て下さった方がた、応援してくださった方がた、ありがとうございました。 共に闘った亜雪さんにも、ありがとう。 お疲れ様でした。 [ --- 2006/05/23 12:30 +mod ; 写真追加しました --- ] 1日目、昼過ぎから思い立って始めた人形化。 自分自身を人形にする。 思いの外大きな反響がありました。 今回目論んだことは、境界線意識の解体と再構築でした。 ‥まぁ、再構築の方は各各に任せっ切りなところもありますが。 人形と人間の境目は? 内と外との境目は? 生と死との境目は? 確固たるものだと多くの人が思っている、何かと何かの境界線。 それは、実はとても危ういもの。 境界線は実際には線などではなく、グラデーションのように広がる「この辺り」でしかない。 ●強制遠近法。 ブースの設計に取り入れた強制遠近法。 これは、ディズニーランドのシンデレラ城でも取り入れられている手法です。 上に行くほど石のブロックが小さくなってるというアレです。 実物を目で見るとどう見ても違和感のあるパースがついてるのですが、写真に収めてみるとその違和感は綺麗にならされて、脳内で補完され、ごく普通の奥行きに変換されます。 恐らく、写真だけを見た人は、このブースの奥行きが2m弱、畳1枚分しかない事には気づかないでしょう。 友人のひめちゃんの撮ってくれた写真(ぁ、撮ったのはちはやちゃんかな?)があるのですが、ジョルジュ・デ・キリコの絵のような不可思議なパースがついています。 ![]() 奥の扉のある壁は、両隣のブースの奥壁と同じ平面です。 寧ろ10cmくらい手前なのですが‥写真見ただけではかなり奥にあるように見えるのではないかと。 床ももちろん周りと同じ平面上。 そう考えると、違和感は2次元に吸収されたのではなく、別なものに変換されたのかも知れません。 ●自分自身の人形化。 息を潜め、視線を固定し、自分を可能な限り阻害し客体化する。 長時間同じ姿勢で動かないため、人形だと思ったまま帰った方も多かったようです。 視野の自由は利きませんが、声はちゃんと聞こえてましたので。 「凄いねーリアルだねー」と云いながら去っていく人も結構な人数いました。 そりゃリアルでしょうとも。 でも、これも写真に収めてしまえば、違和感は綺麗に吸収される。 写真を見れば、違和感のない奥行きと、違和感のない被写体が写るのみです。 例えば動かないわたしを写真に収めても、写真なので元より動きません。 その写真を人に見せて、「この人動かないんだよー」と云ったところで、見せられた人は「‥ふーん。」 としか反応しないでしょう。 できないでしょう。 実物を目にした人だけが、その違和感を覚えている。 同じ写真を見ても、実際にブースを、人形になったわたしを見た人と、そうでない人には、全く違ったものが見える。 わたしは今回の展示を「球体関節人形を中心に据えたインスタレーション」などとこまっしゃくれて呼んでいたのですが、空間を体験させるという点ではまさしくインスタレーションたり得たと思っています。 ●シュレディンガーの猫。 ![]() 実は、身の周り数人には、ブースの中に入ってもらいました。 路地裏の住人になって外を眺めると、不思議と居心地がいい。 会場と地続きでありながら、あのブースの中は結界のように切り離された空間で、外から眺めただけでは見えないものが見える。 外からは外は見えません。 一度、別の空間に視点を置く必要があります。 あのブースは、自分を客体化するための装置でもあったわけです。 覗き窓。 深淵を覗くときは心せよ。 人形も、自分を客体化するのに便利なツールです。 人形に自分を映せば、自分を外から見ることになる。 人が人形に惹かれるのも、恐れるのも、自分がそこに映るからではないかなと思います。 ●見慣れたものの、見慣れぬ姿。 今回新しく作った人形3体(対人形・『阿』『吽』、『ゆびなわ』)は、私の手と指がモチーフです。 ![]() ![]() ![]() どれも、一部分ずつ取り出せば、見覚えのあるパーツ。 並び替えただけでかなり違和感のある造形になります。 これは云ってみればアナグラムで、つまりは解体と再構築なのです。 プログラミングで云うならオブジェクト指向。 ある意味ベルメールの写真と似てはいますが、組換えによって取り出そうとしたものは別のものでしょう。 ベルメールと違い、厳密な意味での組換えではありませんし。 昔から、レゴブロックが大好きでした。 言葉遊びも好きでした。 分解と組み立ても、何によらず好きでした。 今でも好きです。 球体関節人形に惹かれた理由。 恐らくはこの解体と再構築が、その最たるものなのでしょう。 ●乗風界水。 サークル名の『上海乗風界水中心』。 乗風界水とは、風水、の素になった言葉の一つです。 今回のブースには、半ばお遊びで風水を見立ててありました。 奥の壁の上部には、小さく黒く、墨書きで『玄武』の字。 縦書きで繋げて、一字のように書きました。 中国のお札などには、縁起のよい四字熟語を一文字のように纏めたものなどが頻繁に見られます。 向かって左側、五行で金気に当たる白虎を配するべき側面には、金物の器で祭壇を。 制作時、中国産の紅い蝋燭を融かすために事前に倉庫で蝋燭並べて火を灯してたのですが、暖かい光にうっとりしてたらちょうど高橋先生が帰ってきてキョドられました。 対する西の壁面は、木気を擁する青龍。 ブース向かって右手前面に『ゆびなわ』を配して龍の見立て。 2日目からは木気を増強するために、植物である瓢箪を持ってきてゆびなわの奥に置きました。 ![]() 通りに面した朱雀には、川や湖沼で見立てられる水朱雀になぞらえて割れたガラスの破片を。 ほんとにガラス割ると指切ったりで危険なので、透明な塩ビシートをそれらしくちょきちょき切ってばら撒いてました。 案外それっぽく見えるものです。 人間の脳味噌って面白いなぁ。 ●アクセサリ。 亜雪さんのアクセサリが、ブースを引き締めつつ華を添えてくれていたように思います。 アクセサリには普通使われないようなパーツをふんだんに使うことで、あのブースのイメージを補強してくれてました。 ![]() 自画自賛は承知ですが、お互いに曳き出し合うよいコラボレーションになったと思います。 ○閑話休題。 夕刻、『百鬼人形芝居 どんどろ』の演目を観に。 取り憑かれると云うか、吸い取られると云うか。 ここにも、境目を崩す力がありました。 http://www.designfesta.com/jp/df/event/vol23/timetable/stage/dondoro.html ●カタルシス。 2日目19時。 閉幕の合図にと照明が一旦レベルダウン。 ブース内を片付けて、一挙にばらしにかかります。 資材を送り返さなきゃなーと思ってたのですが、丸まる捨てられそうだったので解体した端から廃品コンテナに投げ込んできました。 あれだけあったブース構成品が、最終的には中型ダンボール一つと手荷物のみ。 この2日間で最高に心地よい時間だったかもしれません。 この一時性、不可逆性。 それはひょっとしたら、生命だったのかも知れない。 ゆりかもめに揺られて戻ってきて、新橋で亜雪さんとささやかな慰労会。 おいしい地鶏をいただきました。 こんなにも心地よい、我らの夕餉。 さて。 次はどうしてくれよう。 ほんとにほんとに。 ![]() |
貼ったなり。
ここときちんとネタもリンクするよう、私も真面目に 創作活動の内容を書こうかしらね…。 世界で生存し続けてゆく為には常に個と他との境界を何処へ置くのかという課題が付き纏う。
マングローブが育成するには“満潮”や“干潮”などの潮流の変化が不可欠であり、こうした海域は「感潮帯」とも呼ばれている。「汽水域」は河口などの陸水と海水が混じりあう地域を指し、「感潮帯」は海水の干満により水位が変化する海域を言い、両者は必ずしも一致しない。感潮帯の方が汽水域の範囲より広い。感潮帯と汽水域は厳密な意味では異なるエリアの事である。 浅い干潟は、海中の有害物質を分解するという浄化作用を有している。あたかも腐海の雛形のように。 一本のマングローブの意味・役割で捉えるのではなく、個を超えた生命の“塊”としてのマングローブに意味があるのかもしれない、と考えてしまうのは人間の押し付けがましいエゴイズムかもしれない。 マングローブは感潮帯という、変化の風に常に晒される海域を、あえて選択しただけかもしれない。 ◆大型犬さん そうであるなら、嬉しいことです。 望み、叶え、給え。 汽水域。 うん、よい響きです。 果たして語り部は聞き手に解を求めるものでしょうか。外部へ放出された瞬間から、サブジェクトとオブジェクトの境界は曖昧な膜を帯び、“共有される”情報という土壌の上に撒かれた種子が芽を覗かせ始め。
どのような草木に育ち、どのような花が咲き、どのような結実を結ぶのかは個体差。 もし、貴卿の臨んだ処がインタラクティヴな汽水域であったのであるならば、ひとまず幾人かの胸に種子を撒く事は叶ったのではないでしょうか。 ◆大型犬さん 簡単なことなど。 そうですね。 うん。 わたしが今回やったのは、明和電機的に云うなら木魚の手法なわけで。 音なり見てくれなりで先ずは行き交う人の興味を集めて、なぜそんな造形をしているのかを解き明かす。 言葉では判りにくいことや、伝わりにくいことを、例えを使って実感させる。 のが、一応の目的でした。 達成できたような、そうでもないような。 どうでしょね。 外骨格の内部へ柔らかく冷たい血や魂を受肉させる事と骨格の周囲へ激しく躍動する蒸気機関や機械仕掛けを埋め込む事とは対になっているかもしれない、と。
ようするに簡単な事です。 簡単な事など、何も無い。 宙に焦がれて糸を廻らせ、頚を求めて夜な夜な生体通信の中を飛翔しているのです。 ◆大型犬さん 生体通信にはお気をつけて。 あのカタルシスあったればこそ。 と、現に戻ってきた今改めて思います。 Yin and Yangからのquotation,ドアのこちら側はやはり陰界でした。クーロネットから書き込んでます。
一時性を投棄する替え難いカタルシスを得る事で、更なる高次へと昇る懸橋に。 |
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| ○● 上海乗風界水中心 ●○ |
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