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光は影の産み親。
2006-08-22 Tue 16:44
 
中村屋オムライス。

 
影のない世界は光としか認識できない。
飴屋さんの体験に拠れば、完全な闇は完全な光と区別がつかないのだとか。


昨日はお仕事済ませてから新宿中村屋でごはん→王子で観劇、と云う流れでした。
オムライスがバターもっさりでとてもとてもおいしかったです。


舞台の方は、吉田ミサイルさんのお誘いで、8人で演じる3人芝居を。
演題は、『手を離したとき目をつむっていたのか それとも最初から目はつぶれていたのか ~ジャン・ジュネ作「女中たち」より』。
フォーメーションとしては3・(1+1)+1(+1)で8人。

見終わって暫くは消化のための時間。
一緒に観に行ったゆきのさんと抽象的で断片的な会話だかモノローグ*2だかを繰り広げた結果、何とか決着点と云うか着地点と云うかに辿り着く。
フォーメーション最後の(+1)、つまりジャン・ジュネ本人のみがあそこにいたのではなかろうか。
整理されない頭の中は概してああしたものだろう。
 

 
登場人物の内の2人、クレールとソランジュの女中姉妹は、一人をそれぞれ3人が演じる構成。
そして奥様、更に恐らくは何かを失調しているジャン・ジュネ。
計8人。
こんな構成もあったものか。
芝居というものの懐は見事なまでに、手酷く広い。

空間に吊り下げられた数点の象徴物。
それにスポットを当てることによって浮かぶ影。
クレールとソランジュ、それぞれに別方向からスポットを当てることによって浮かぶ、それぞれ3つの影。
その影と、奥様。
クレールとソランジュの奥様ごっこは、奥様の影。
奥様も含めて、浮かんだ影は結局のところ、定まるところに辿り着けないジャン・ジュネに当てられたスポットライトが作り出したものなのだろう。

とっ散らかったまま纏まらないのではと思わせる展開で、しかし最後にジャン・ジュネのとうとうとした詩吟のような朗読で一挙に収斂する。

音響・美術の精緻さが、また全体のトーンを落ち着かせていた。
面白いものを観たなー、と。
万人には決してお薦めできないけれど、ものを作らんとする人間や、役者を自任している人間は観ておいて損はないだろう。
ってわたしが観たので千秋楽だったんですけどね。


暑さに弱い美少女さんは予想通り8月中は作業の進捗がびっくり遅いわけで。
しかも残暑も厳しいとか云う話で‥勘弁してー。
もっとたくさん作るのだ、人形を、人形を。
諸君わたしは人形が好きだー。
 
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