お仕事も色いろと立て込んではおりますが、暇を持て余すよりは余程よいでしょう。
ちょうど折りから暑さもぶり返してるし、粘土の乾きも早いことかと。
早く帰って粘土弄りたいな。
で。
昨日は銀玉観る為にAir Studioに向かう道すがら、ボルゾイさんと連れ立って最終日の『少女娼館』へ立ち寄ってみました。
地下室の鏡台の反射で出来たスペクトルに着想を得たりしつつ、球体部分を中心に仔細に吸収。
お手隙だったようなので恋月姫さんを捕まえて、首関節がとか素材がとか描き目(と云うか彫り目)がとか云う話を繰り広げて。
居間の一人掛けソファに座っている子がヘッドだけビスクと云うのを聞き及んで、早速再確認。
確かにこの2体だけ顔に灰色のくすみがない。
何か他の人形達との違和感は感じてたのだけど、そう云うことだったのか。
ビスクの透明感は矢張り魅力。
正体を聞く前にはっきりと気付けなかったのは口惜しい。
銀玉2(東京受験大戦争篇)はなかなかに笑かしてくれたり泣かせてくれたり。
観ると出たくなってくるのは、6月の舞台がとても心地よかったからだろう。
暫くは人形にかまけて舞台からは遠のくつもりだけれど、それでも声を掛けてくれる役者や演出家には感謝頻り。
一度あの味を覚えてしまったものは、恐らく、終生舞台に立つ魅力というか魔力というかに囚われ続けるのだろう。
絵の巧さは目の良さに、音楽の巧さは耳の良さに拠るところが大きい。
再現するのには技術が勿論必要だろうけれど、いくら技術が優れていても、感覚で取り込んだ以上のものは出せないだろう。
人形ならば目の良さと触覚の鋭さ。
芝居ならば、観察眼。
直観を先ずはきりりと研ぎ上げて、細く細く穿とう。
細胞組織をするりと抜けて、ニュートリノのように。
人形の空洞は、カミオカンデ宜しくその様を描き出すだろう。